In Speed We Trust

Speed of Japan Official Blog

玉田誠を成長させた「ブリヂストン」

May 2nd, 2014
(画像提供: 本田技研工業)

(画像提供: 本田技研工業)

昨日、2002年から2輪最高峰のロードレース世界選手権MotoGPクラスにタイヤ供給を始め、2008年にはオフィシャルタイヤサプライヤーとして同クラスに単独でタイヤ供給をして来たブリヂストンが、2015年シーズン一杯で撤退することが発表された。

ブリヂストンは2003年に玉田誠を開発ライダーとして起用。HondaRC211VでプラマックHondaからフル参戦をした。2004年までの2年間、辛い時も至福の時もブリヂストンと一緒に戦った。そして2004年に初表彰台、初ポールポジション、そして初優勝を果たした。この世界最高峰で優勝するライダーは玉田以降出ていない。だが、玉田の口からそれらの功績の事を聞くことはない。彼がこの時代の事を話すと、口に出るのは「開発」の事しかない。

(画像提供: 本田技研工業)

(画像提供: 本田技研工業)

自分は玉田にとって、この2年間がレーシングライダーとして一番育った2年間だと思っている。この2年間で彼が養ったマシンの知識、タイヤの知識、そしてレースの知識は計り知れないと思っている。彼がこの2年間で養ったこれらの知識や経験が彼をレーシングライダーとして急成長させた。だが、反対にこの2年間で彼が成し遂げた輝かしい戦績はその後の彼の成長を止めてしまったのかも知れない。

玉田は2005年にブリヂストンからの慰留を蹴り、ミシュランに移籍をした。その当時、MotoGPクラスは圧倒的にミシュランユーザーが多かった。そして、前年度の活躍を「ブリヂストン」を使用したからと他ライダーから挑発され、海外メディアもこれを話題にした。この事を耳にした玉田は、「そんな事はない事を証明する」とミシュランへの移籍を決めた。そして、ミシュランを履いた玉田は、プレシーズンテストでほぼ全セッションでトップ。周囲もそれに驚き、メディアも一転「玉田は全レースで優勝できる」「チャンピオンの最有力候補は玉田」と盛り上げた。しかし、シーズンが始まると状況は大きく変化した。

玉田はテスト時に履いたタイヤとはまったく違う感触のタイヤだったと言う。同じコンパウンド、同じプロフィール、同じ型のタイヤを履いてもまったく感触が違ったと言う。何故そうなったかの背景は憶測はできるが、ここでは口を閉ざしておこう。ひとつ言えるのは、ブリヂストン時代は第1ライダーで、玉田の要望をすべて聞き入れたタイヤメーカーだったのに対し、ミシュランにとっては多くのライダーのひとりだったと言うことだ。

この移籍が間違った判断と言う関係者は多い。その後の玉田の成績だけを考えれば、そうだったのかも知れない。玉田がそのままブリヂストンを使用し続けたとしたら、優勝回数も2勝には留まっていなかったかも知れない。世界タイトルを獲れたかも知れない。だが、自分はこの判断は間違っていなかったと思う。玉田が現在持つ、レースに対する考え方はこの移籍がなかったら、養うことは出来なかったと思っている。ブリヂストンと戦った2年間。悔し涙も嬉しい涙も一緒に流したブリヂストン。玉田はその後のレース活動の中で、良く口にするのが「今いるチームを誰もが羨ましがるチームにしたい」。この言葉にはブリヂストンと戦った2年間が彼に「共に戦う」と言う意識を植え付けたのだと思う。今でもブリヂストンは玉田を成長させているのかも知れない。

Comments

One Coment

RSS

Leave a Reply

In Speed We Trust

Speed of Japan Official Blog